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河川氾濫は、国交省の責任

河川氾濫で、お亡くなりになった方、被害に逢われた方にお悔やみおよびお見舞いを申し上げたい。

で、熊野川の反乱は、国交省、というか建設省の責任だ。

そもそも日本の河川は高低差が激しい。
つまり、流速が早いということだ。
同時に、蛇行をしているのだが、取水需要を満たしたり、治水を目的にしたりするために河川を直線化する。これをショートカットという。
このショートカットの過程で、河床掘削、護岸整備をして、堤防をしつらえて越水をしないようにする。
そのさい、50年、100年、200年に一度の洪水を想定する。
それには、年間降雨量を説明変数とする。
そのために、気象庁で過去の降水量のデータを入手してシミュレーションを行う。

ただし、その降水量で氾濫していなくても、過去の河道を前提とする。
つまり、流下能力は過去のままだ。
そのまた前提は、土砂崩れが起きない、山には保水力があるということだ。
この前提の前提は、非科学的だ。単なる思い込みといってよいだろう。
防災に関してのモデルには、机上のモデルは当てはまらない。
前提の前提の前提までさかのぼり、その妥当性を検証したうえでモデルは構築しなくてはならない。

蛇行する河川は、前提として洪水を引き起こしたり、氾濫したりする。
したがって、流路が蛇行している付近には、遊水地、おおくは田畑などがある。
ところが、山奥でもそのようなところは住宅整備をし、人が住むようになった。

このように前提がかなり変質しているのだ。

自然というのは、コントロールできないのが動かしがたい大前提なのだが、残念ながら日本の河川工学ではこの前提が前提足り得ない。デ・レーケから何を学んだのだろうか。

同様に、治山などの概念があるが、生態学上、この治山というのは成立しえない。
なぜなら、変遷するからだ。
同時に、かつてなら山の整備、つまり伐採や入会利用なので山の保水能力というのはある程度は保つことができただろうが、現在のように木材価格が下落して輸入材が主な状態では、山は掘ったらしかしだ。山林組合も、ほぼ名前だけの状態だ。

で、那智勝浦町、新宮市の被害は、このような前提を無視した結果だ。
本来ならば、流速もそれほど速くなく、越水までの時間があるので避難はできただろうが、現在のような寡占工学ではショートカット、早い流速、多い流量で、簡単にH.W.L.まで達してしまう。

これは、国交省が遊水地をしつらえず、自然をコントロールしようとした結果だ。
したがって、今回の洪水の被害で、下流部での被害は、国交省の過てる河川政策によるものといえよう。

ただし、土砂崩落などは、ここでは排除する。同時に、段波の被害も排除する。河川の問題を主と捉えられないからだ。

那智勝浦町長の気丈な面持ちを拝見し、つい書いてしまいました。
お悔やみ申し上げます。




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